栄和堂ブログ

鎌倉の端っこにあった書店「栄和堂」僕らはここを「ブックスペース」として本屋の再発明をしていきます。公式HP http://eiwado.space/

深沢のまちを語ろう

前回、深沢のまちづくりについて書きましたが、このまちには現在どんなものがあるのか、どんな特徴があるのかといったことについて見ていくことにします。

■歴史や文化があります
鎌倉時代の有名な神社仏閣は旧市内のほうに多く集まっていますが、深沢地区にもいくつかあります。手広にある青蓮寺(鎖大師)や熊野神社、笛田の仏行寺、梶原の等覚寺や御霊神社、寺分の大慶寺、東光寺、駒形神社などはそれぞれ由緒ある神社やお寺です。以前ぼくが書いた「鎌倉散歩」というレポートを参照してください。

また、JR工場跡地から三菱電機鎌倉製作所あたりの一帯は洲崎と呼ばれ、その昔新田義貞の鎌倉攻めのとき赤橋守時との死闘が繰り広げられた場所で太平記にも登場します。新田義貞はここから極楽寺へ向い、有名な話である引き潮を利用して稲村ヶ崎の磯伝いから鎌倉に入り幕府を倒したのである。

この古戦場のあとにその時の戦死者を周辺の住民が弔うために建てた塔で重要美術品に認定されている「泣き塔」(宝篋印塔(ほうきょういんとう))が現存している。


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■風光明媚なところです
深沢地区は東南北を山があり西側が開けているので、何と言っても富士山の眺めがすばらしい。深沢地区のどこからでも見えるかというともちろん見えないところもあるが、富士塚とか富士見町とかいう地名もあるように四季折々の富士山をながめることができます。そんな所に高層マンションを建てて景観を台無しにしていいのでしょうか。

ぼくの家からも富士山がよく見えます。夏は雪がない青富士で秋から夕日に映えた赤富士に出会うこともあり、徐々に白い帽子をかぶりだします。そして冬には真っ白な富士山が拝めます。ぼくは若いころ三重県に住んでいましたが、富士山をみることができないことが悲しかった覚えがあります。深沢には心がなごむ景観があります。


ある日の富士山


■気候が温暖です
夏は涼しく冬は温かいと言えます。まあ、東京なんかと比べてということになるかもしれませんが、この真夏でも気温が2、3度違うようです。ですので、最近は東京に出るのが億劫になってしまいました。でも、こういう場所に暮らすと厳しさが足りなくなるといわれることもあります。でも、のんびりするのもいいじゃないですか。

■鎌倉・大船・藤沢・江ノ島駅からほぼ等距離にあり便利です
JRや大きな私鉄の線路はありませんが、湘南モノレールが大船から片瀬江ノ島まで走っています。今年で開業45周年を迎えました。すっかり地元民の足として定着していますが、今年5月に三菱グループが保有していた株を経営共創基盤傘下のみちのりホールディングスが取得して経営を主導することになりました。これから活性化されることを願っています。

このモノレールと京急バスが大船と江ノ島間を結んでいて、もう一方で鎌倉と藤沢間を江ノ電バスが運行しています。東西南北の交差点が深沢なのである。この立地を活かして例えばハブとなるターミナルをつくるとかできるとより利便性は高まりますね。


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湘南モノレールホームページより

■寛容な人々が住んでいます
深沢にあるぼくの行きつけの洋食屋のマスタがこんなことを言っていました。「ひとりでやっているのでランチなんかで混んでくるとどうしてもお客さんを待たせてしまう。時には30分くらい待たせることもあるが、この辺の人たちは文句も言わずに待っていてくる。ここに来る前は浅草で店をやっていたが、そんなに待たせたらもうとんでもないことになる」

深沢に住んでいるひとたちは比較的穏やかで寛容であるような気がします。ぼくは深沢小学校を卒業していますが、もともと地元の子しか行かなかったのが、ぼくらの頃には、国鉄大船工場に官舎とか公団住宅などよそから来た子が入学するようになりました。でも、そこで対抗心を燃やしてどうのといったことはありませんでした。なかよく遊んだものでした。

また、山崎方代という放浪の歌人が移り住んだのが深沢の手広です。彼は働きもせず家も持たず、もちろん結婚もしてない身なのですが、家を与えてもらい、飲んだり食ったりも近所のひとたちが世話を焼いていたのです。

このように、様々な特徴があり、それらは甘いところもありますが美点でもあると思うのです。そしてこれから、少子高齢化社会に向かう時代にふさわしく子供や若者と年寄りが寄り添う快適な空間があるまち、また未来に向かう活気のあるまちにしていきたいと思っています。