いかにその人の「日常」になるか
今日、はてなブックマークでこの記事がバズってましたね。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160525-00001793-cakes-lifezasshi.news.yahoo.co.jp
記事中の「あなたが大好きなお店が続くために」以下の結論部分は、個人的に「ちょっと市場性を無視し過ぎているかな」と感じてしまいますが、以下の部分はリアル店舗の店長としてはなかなかに身につまされるものです。
僕は飲食店経営者として、新しくて話題のお店ができると、なるべく時間を作ってそのお店に行ってみることにしてるんですね。でも正直に言って、2回目ってまず行かないんです。他にもチェックしなきゃいけないお店はたくさんあるし、まあ1回行けば大体そのお店の雰囲気はわかるし、といった理由です。
そして一般のお客様もほとんどがこの気持ちなのではないでしょうか。新しいお店が開店して、話題になって、たくさんのメディアで取り上げられて、「じゃあ今度一度行ってみようか」ということになり、一度行ってみて、「結構良いお店だ」と感じて、SNSで「行ってきました。すごく美味しくて良いお店でした」と報告して、そしてもう二度と行かなくなりますよね。
「だから潰れてほしくなかったらお店に通ってよ!」っていうことが言いたい訳ではなく、これは現実として起こっていると思いますし、それを否定する気持ちもありません(自分もカフェ巡りをやりますしね)
この現実を受け入れつつ、考えるべきことは「いかにその人の日常になるか」であると感じたのです。
「来てくれる」ことがどれだけ大変なことか
「良いお店ですね。また来ます!」とお客様が言ってくれる時があります。その時は素直に嬉しいのですが、果たしてその中のどれだけの人が実際に来てくれるでしょうか。
もちろん人には色々な事情があるし、私自身も「また来ます!」と言っておいて、なかなか行けないこともたくさんあるので、その人に対して「この嘘つき!」とは思いません。ただ、何も会話できなかったり、すぐに帰ってしまったお客様でも、もう一度来てくれた時の方が何倍も嬉しい、それこそ飛び上がるほど嬉しいのです。
「来てくれる」ということは、その店を思い出し、行こうと意思決定し、実際に行動に移してくれないと行われません。当たり前ですが、行動が伴います。つまり「頭で考える論理的なものではなく、身体的で感覚的なもの」です。その行動に至るまではものすごく高い障壁があって、それを取り除くには、そのお店に行くことが日常となること、であると考えてます。(歯磨きをするように来て欲しい)
日常以上の特別なことは無い
先日、オズマガジンの対談で、ポンポンケークスの立道さんが言っていました。
八百屋さんがあってコーヒー屋さんがあって毎日通う店がある。日常以上の特別なことはなくて、そういう場所が鎌倉の中には意外となくて、珍しいと思います
JR鎌倉駅周辺であれば、一見さんをターゲットに、ものめずらしいコンセプトが受けるかもしれません。ただ、栄和堂のある深沢・梶原地区では、そうはいかないんですよね。商売をやっている方はみな、地に足をつけながら、奇をてらわず粛々と商売しているという感覚があります。そしてそれが本質じゃないかとも感じてます。
栄和堂があることで、日常の質を上げたい
旧栄和堂書店が閉店してから、深沢地区には本屋が無くなってしまいました。
今の栄和堂は本を販売していないので、いわゆる「本屋」ではありません。ただ「行けば何かしらの発見がある」とか「無限に立ち読み出来る」とか、本屋的な場所があることによって、日常の質を上げられるのではないかと思ってます。
「潰れてほしくなかったらお店に来てよね!」という理由付けなど要らず、「なんか分からないけどここに来ちゃうんだよね」という日常感覚で来て欲しい。
6月23日に、栄和堂初の音楽イベント「本と音」が行われます。 定員40名ですが、早速申し込みが来ているので、お早めにご予約を!
あなたの日常に「本と音」があったら、ちょっとだけ面白くなると思いませんか?
お申し込み方法:お名前と申込人数をご記入の上、下記いずれかの連絡先までご連絡ください。
- info@eiwado.space
- 0467-67-6814
- Facebookイベントページにて「参加予定」ボタン押下 → 本と音vol.1
- または店頭でもお申込可能