本の値段は質に依存しない
少し前ですが、カンブリア宮殿にナガオカケンメイが出ていました。D&DEPARTMENTという店舗を経営しているデザイナーです。
有名なデザイナーの方なので、知っている人は多いと思います。
大量生産、大量消費は疲れる
ナガオカケンメイは、自分がデザインした椅子が展示会が終わった後、大量に廃棄されているのを目の当たりにし、短期消費型の風潮に強い疑問を感じました。その後、長く使える本当に良い物を売りたいと思い、D&DEPARTMENTを設立しました。
60年前から作られ続けている鍋や50年前から形を変えていない醤油差しなどを販売し、モノの値段は決して安くは無いですが、販売は好調だそうです。物質的な豊かさはとっくに飽和して、「本当に良い物が欲しい」という人が増えてきたのでしょう。
値段が高い本が良い本とは限らない
では、「本当に良い本を読みたい人」はどうしたらいいのでしょう?
本はどれだけ優れていて、時代を跨いで読み継がれていても、値段は普通の本と同じです。著作権が切れた青空文庫に至っては無料で読めます。(夏目漱石の「こころ」も無料で読めます)
このように本の値付けは質に依存しないので、値段が高いものを買えば質の良い物を買えるということが無いんですよね。良いものが欲しいからちょっと奮発しちゃおう!というノリが使えない訳です。これって考えようによっては厳しくて、モノに対する目利き力が試される商材と言っていいのかもしれません。
そういえば、ノルウェイの森に出てくる永沢さんは、死後30年を経過していない作家の本を手に取りませんでした。
現代文学を信用しないというわけじゃない。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い
値段という基準が無い分、人によって選書に個性や哲学が出やすいんじゃないでしょうか。だから本棚で自分を表現できちゃうんじゃないかと思います。